ヒヨコ台病院
ほんのわずかな光があれば
u chit tiam bi bi e kng chi u chit tiam khin khin e hong
只有一點微微的光 只有一點輕輕的風
chi u chit tiam bong bong e ho' gun chiu e chit mi toa chit chhun
只有一點濛濛的雨 阮就會一暝大一寸
sui jian ui tioh thau-lo' lai kau chit e to'- chhi
雖然為著頭路 來到這個都市
gun ia si siong hoai- liam ko'-hiong tang lo'e jit- chi
阮也時常懐念 故郷凍露的日子
ほんのかすかな光があれば
ほんのかすかな風があれば
ほんのわずかな雨があれば
僕は大きくなれる
仕事のためにこの都会に来たけれど
思い出すのはいつも 故郷での幸せな日々
chi u chit tiam bi bi e kng chi u chit tiam khin khin e hong
只有一點微微的光 只有一點輕輕的風
chi u chit tiam bong bong e ho' gun chiu e chit mi toa chit chhun
只有一點濛濛的雨 阮就會一暝大一寸
chau sim e ia bi lau khoe choe ni e siong khau
草心的野味 流過多年的傷口
gun beh pian seng hong-ho' loh' ti ko-hiong e tiaN-tau
阮要變成風雨 落佇故郷的庭斗
ほんのかすかな光があれば
ほんのかすかな風があれば
ほんのわずかな雨があれば
僕は大きくなれる
草の汁の香りが 長い歳月の傷を癒す
僕は風雨になって 故郷の土の上に舞い降りたい
田舎の子供が学業や就職のために都会へ出て行き、忍耐強く努力した結果、成功を手に入れるが、心に想うのはいつも幼少の頃を過ごした故郷の貧しくても懐かしい思い出。そして最後には、「落葉生根」(落葉は根に帰る)という言葉のように故郷に戻ってくる、という人生のストーリーを歌っています。「落葉生根」は「落地帰根」などともいい、特に華僑が故郷に戻ることを言うようです。これはもともと詩人で弁護士の荘柏林氏の詩に曲がつけられたもので、曲は蕭泰然氏によるものと王明哲氏によるものとの二種類あります。
これは単に田舎から都会に出て行った者の郷愁を表現したものであるばかりではなく、台湾の国民党独裁時代にブラックリスト入りされ、海外逃亡を余儀なくされた人々の故郷台湾への複雑な郷愁を表した歌でもあります。いずれにせよ、厳しい環境下でも雑草のようにたくましく生きて行く姿はまさに一本の草の生命力の強さに喩えられるでしょう。